朝井リョウの原作を読んだのは十年前だ。僕にとっての高校生活なんて、四十数年以上も昔。当時の事なんて覚えていない。何もかも卒業したと思っていた。それなのに。なんだ、この涙は?この胸の痛みは?若者たちの満身創痍な“さよなら”に、涙が止まらない。青春は卒業しない。これは傑作だ。
小島秀夫(ゲームクリエイター)
淡いようで濃く、かわいているようで湿度は高く、しっかりしているようで不安定な少女たちのこころを、俳優たちが、監督が、みんなが、丁寧に誠実にすくいあげている、とてもとてもきれいな映画です。
城定秀夫(映画監督)
この映画の中の高校3年生たちは、私たちに横顔を見せてくる。決して私たちを見てはくれない。 あの子たちみんな、とても大事なものに絶えず視線を送っているから、おのずとそうなってしまうのでしょうね。まぶしい横顔でした。
大九明子(映画監督)
すっかり忘れていた感情を味わった。誰しもの記憶にきっとある、ささやかで悩ましいあの頃が丁寧に描かれていた。不安定な彼女たちを照らす中川監督のまなざしが優しい。 ラストシーン、河合優実さんの台詞の隙間に存在した息遣いが忘れられない。
松本 壮史(映像ディレクター)
色褪せかけていたあの頃が鮮明に蘇ってきて、思わず涙がこぼれてしまいました。 それぞれの青春、それぞれの卒業と別れ、誰もがかつての自分と重ねてしまうのではないでしょうか。 等身大の少年少女たちはキラキラ輝いていて、すごく魅力的で⋯とても儚いものでした。
渡邉美穂(女優・タレント)
"かって子どもだった全ての人に"みたいな常套句がありますが まさに"かって卒業したことがある全ての人に"という作品ではないでしょうか。 時間は有限でいつか別れが来ることも、また大人になって振り返りそんなに変わらない普遍的なことがあることも、実は全くわかろうとしなかった俺はあの頃のことをくっきりと思い出し泣いた。 閉ざされた2日間のそれぞれの描写に、若者への残酷さと美しさを垣間見る。 なんとせつなく なんと美しい物語なのだろうか。 最後の最後 このタイトルが頭でリフレインする。 俺はこの4人の少女の未来に心からエールを送りたくなりました。 がんばれ、と。
ダイノジ 大谷(芸人)
120分ずっとたまらんかったです。後半の方なんか、今これVRで見とるっけ?って言うくらい、 作品の世界に没入しながら見てました。 山梨県の高校を卒業して、その翌年に校舎が取り壊されるという実体験を持つ相方ではなく、 敢えて僕を選んでくれた関係者の方、本当にありがとうございました。 全ての青春に幸あれ。
ニューヨーク 屋敷(芸人)
少女達のそれぞれの卒業の在り方に、自分はなんて簡単に色んなものから卒業できるようになってしまったんだろうと気づく。彼女達の平和を祈るダニー・ボーイが耳から離れない。
マキヒロチ(漫画家)
学校が世界の全てだった。真昼の花火、夏の日差し、ステージのライト。 交錯する彼女たちの光は痛々しいけれど、消滅はしない。それは今の私たちに確かにつながっているのだ。
今日マチ子(漫画家)
どちらかといえば先生に近い年齢になった自分に驚きながら、作田と同じように学校で馴染めなかった 私はどこに居場所を見つけたっけ...と苦い記憶を思い返した。 学校という狭い世界では、生徒達の個性の違いが浮き彫りになる。 たった二日間の出来事に詰め込まれたそれぞれの成長と卒業にジンとくる。
雪下まゆ(画家・イラストレーター)
地元の学校を早く卒業したかった。 あれほど強く願ったはずなのに大人になると美化されたいい思い出しか記憶に残っていない。 しかし、この作品は美化して消し去ったはずの酸いも甘いも思い出させてくれる。 学生生活に甘い砂糖菓みたいな少女漫画に出てくる胸キュンストーリーなんて存在しないし、 カカオ72%くらいの孤独と何事も上手くいかない地獄がきっとあったはずだと。 語るに足らない忘れ去っていた青春をこの映画は4人の少女を通して肯定してくれる。 だからこそ今なら純粋にこう思う。私も卒業したくなかったな。
酒村ゆっけ、(酒テロクリエーター・作家)
学校が大嫌いだった。1秒でも早く卒業したかった。「いろいろあったけど全部良い思い出だよね」と 言わなきゃ、思わなきゃいけない卒業式の日が一番面倒臭かった。 でも、この映画を観て「儀式としてそういう日が必要だったのかもしれない」と初めて思えた。 廊下や体育館に苗字の五十音順で並ばされたあの頃に、戻りたいとはやっぱり思わないけど。
大島育宙(芸人/映画・ドラマ評論家)
卒業 「忘れた」ということを忘れないために 少女たちは瞬きをシャッター代わりに風景を切り取る 図書館や調理実習室、体育館、帰り道 もう戻れないこと、次へ進むこと、 可能性がどれだけキラキラしているかということも 少女たちはとっくにわかっている 桜の季節にまたそっと思い出せば良いことも
山本千織(chioben主宰・料理人)
何かが終わりを迎えようとしている、その直前の瞬間って、なんであんなにもエモーショナルなんだろう。全身で理解してるのになかなか口から出てこない「さようなら」のような、苦くて甘くて痛くて切ない気持ちになる2時間でした。 ああ、青春の日々よ……。
清田隆之(文筆業/桃山商事代表)
どうしたって高校生には戻れないわたしは、たった十八歳の少女たちの気持ちに思いを馳せながらも「大丈夫、大人になっていくうちにその感情のかたちは変わるよ」と言うことしかできない。 でも、あの頃からずっと変わらないものもたしかにあって、それは今のわたしにつながる大事な要素になっている。四人の少女たちと、少女だったわたしに、「いっぱい悩んで、前に進もうとしてくれてありがとう」と伝えたい。
ものすごい愛(エッセイスト)
苦しかった。学校という限られた空間のなかで築かれた曖昧な関係、決して言葉にしきれない感情や葛藤、見慣れた教室や同級生・恋人・先生との別れ、将来や東京へのキラキラした希望、そのすべてが。 あの頃を通り過ぎて大人になった今だからこそ、当時抱えていた葛藤を思い出しながら見たい作品。
あたそ(ライター)
たとえ30代になっても、或いは、50代になったとしても、卒業したあの頃のことを、なぜか昨日のことのように覚えているものだ。教室に差し込む陽射しや、颯々とわたる風。 そんな記憶を呼び覚ますような、寂然たる響きやぬくもりが、この映画に漂っている。 近いようで遠い、手が届きそうで届かない。いつしか日常に忙殺され、気づかぬうちに失っていた 何かを、誰もが卒業生たちの佇まいから思い出すのだろう。
松崎健夫(映画評論家)
まんまと思い知らされた。原作を映画ならではの方法で鮮やかに換骨奪胎する中川駿の手腕たるや……! 『カランコエの花』同様、この俊英は、静寂の巧みな使い手であり、小さくピリオドを打ち込もうとする十代の淡く儚い感情を壊さないようしなやかに紡ぐ。学内の断絶や不和よりも理解と友好の可能性を掬い上げるエレガントな青春群像劇『少女は卒業しない』は、“地獄のアディショナルタイム”を孤独に堪える者にもそっと優しさを示す。
常川拓也(映画批評家)
中川駿監督の過去作である『カランコエの花』で、レズビアンの少女が想いを寄せる相手のことを話すエンドロールを聴きながら、すべての人の恋が誰かに話せる恋だといいと思った。 『少女は卒業しない』にも、人知れず抱え込む想いに揺れる少女たちが生きている。こんな青春は自分の人生に存在しないはずなのに、なぜだろう、この映画をみつめおえたわたしは、いつかどこかで彼女たちと同じ時間を生きていた気がする。
児玉美月(映画批評家)
たかが3年されど3年の高校というプチ社会と、あの微妙なお年頃を、卒業式前のたった2日間を切り取って見事な群像劇に仕上げた手腕に感服。 思いもよらぬラストの収束を観て、思わず自分の高校時代に思いを馳せた。
よしひろまさみち(映画ライター)
時間で区切られる僕たちは、ある日を境に大人と言われる。 でも心の内にはきっと、その先も卒業できない想いがある。 無理に決別しなくていいんだと、彼女たちが教えてくれた。 痛みも未熟も抱きしめて。青い自分のままで、生きていく。
SYO(物書き)
大人になった僕らは「卒業式」の役割を忘れていた気がする。 こんなにも焦ったり、自分を見つめ直したり、人生が大きく変わるきっかけを沢山生んでしまう特別な日。 決して誰しもの「お祝いの日」では無い自分だけの卒業の日を、この素晴らしい映画でもう一度思い出してほしい。
しんのすけ(映画感想TikTokクリエイター)
人はいくつもの「卒業」を経験するものだが、少女が少女であることを脱する「卒業」は、おそらく一度きりである。この映画にはその刹那が刻まれている。つまりこれが映画である以上、それは永遠なのだ。どうすればこんなにも瑞々しい瞬間の連続をフィクションとして創出できるのか──。新鋭・中川駿監督と河合優実ら将来ある若手俳優たちがともに生み出した本作は、学校を舞台とした日本映画の新たなマスターピースとなるだろう。
折田侑駿(文筆家)
※敬称略/順不同